朝愛犬との散歩でたくさんの種類の犬たちに合います。
犬好きな私にとっては、いちにちのはじまり「幸せ」な時間です。
震災により散歩犬も増えました。県外に出てしまったお子さんの飼っていた犬をいわきにいる祖母宅に預けていくという例もありますし、震災後放射能危険・警戒区域からいわきに避難をしてきた方が、保護センターに預けていたり、家においてきたままだったペットを、ようやく引き取り一緒に生活できるようになったようです。(ペットOKの住まいを探して)
再会できた飼い主は、それまで寂しかったり、置いてきた愛犬を心配して他の犬を見ては悲しい気分になっていたといいます。田舎では、老夫婦で生活している方も多く、犬や猫を家族として孫のように可愛がっているケースが多いです。またどちらかがお亡くなりになっても、愛犬のお陰で生きてこられたという(心の支え)としてのケースもあります。
毎朝、犬を通して顔見知りになり、挨拶を交わします。その場限りの会話ですが、折に触れそれぞれのいろんな生活や人生を感じます。震災後は特に、「体験」をうかがうにつけその方の生き様をかいま見ることがあります。
避難をしてきている高齢者の方々は、多分危険区域や警戒区域からの避難者が多いです。本来であれば、早朝から畑や田んぼに出て、農作業をしていた方も多そうです。そんな震災により県が借り上げてくれたアパートや仮設住宅に住まわれている方々は、春の気配を感じて、そろそろ「土」をねらなくては・・。苗を育てなくては・・。と本来ではそんな時なのだろうと思います。スーパーで野菜や米を買ってたべたことがないという人もいます。
値段も味もわからないといいます。なぜなら自分で作った米を何十年も食べ、朝は、味噌汁の具はなににしようか・・と自分の畑にいき摘んでは、旬の野菜を食していたのです。それが当たり前の習慣であり生活だったからです。
おじいちゃんとの会話ですが、「アパートのテラスにプランターでも置いて野菜作りをしてみたらいいのではないですか」と言ったところ「人さまの家なので、申し訳ない」と。「今は仮の住まいだから・・」と。釘一本打つのが申し訳ないといいます。昔の人の堅気を感じます。畑も田んぼもケアーをしたい。そのままでは土がダメになってしまうんだ。と心配そうに話していました。
散歩に出てお話をしている方々は、まだ元気です。しかし無気力になって、一歩も家から出ない人も多くなっていると言います。買い物にも出ず、食欲もうせている人も多いらしいです。ひとりぼっちでいる毎日では、こころが滅入るだけ、張り合いもなくしてしまうのも当然だと思います。 孫が生まれたけど、まだ会っていない。お彼岸があったけど子供たちは、墓参りに来ない。「放射能が心配で、子供をいわきに来させないのだ」と言います。
そんな避難者(高齢者)の話を伺うと、自分も今「これまでを省みる」機会にもなります。自分の不満やイライラがわがままや贅沢に思えて恥ずかくなる瞬間でもあります。
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平成24年3月20日 平成23年度卒業生総代 の答辞の一文です。
「命の重さと日常の有り難みを知るにはとてつもなく大き過ぎる代償であり、「絆」という言葉だけでは片付けることはできないものでした。」
「この忘れることのできない震災を通して、毎日ふかふかの布団で眠れることや、いつでも温かい食事を食べられること、たわいもない話で笑い合える友人がそばにいること、電話の向こうで家族の声を聞くことができること、ささやかな日常にこそ本当の幸せがあること、何ひとつ当たり前ではないことを、誰もが共通して感じたことだったのではないでしょうか。」
「それぞれが感じた震災の記憶を忘れることなく心に携え、何よりも目の前にいる人を愛おしみ、明日が訪れる幸せを噛みしめながら、輝かしい未来を最後まで全力で生き抜いて参ります。」
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「震災だけなら、まだよかった。放射能さえなかったら・・・ねぇ。どうなるんだか・・」 「また明日ね」「頑張ろう」と お散歩がおわります。